| 制作ノートインデックス > メイキング01 |
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| 今日は、西澤監督と、プロデューサーの村上氏以下の制作スタッフが集まっての、第1回目の打ち合わせ。 「ふるさと-JAPAN」は昭和31年という時代そのものが大切なキーワードとなる。が、スタッフは全員30年以降の生まれで、いまひとつ時代の風景が分からない。 当時の町や人々の様子を知ることから、制作は始まった。 8月の原作完成以来、特に渡部さんは図書館や資料館に通いつめ、当時の様子をアニメ化するのに必要な写真や資料を集めてきた。アニメーターさんが、絵を描くためにも そういった目にみえる資料は、とても重要になる。 折りしも今日12月12日は、映画監督の小津安二郎氏の生誕100年の日。 このところ、NHKのBSでは、故小津安二郎特集を組んでいて、全57作品を一挙放映している。 白黒映画もあって、今観てもとても楽しい。小津監督は昭和20年から30年の人々の、日常の生活を丁寧に映像化した監督だ。われわれ制作メンバーにとっては、昭和31年の風景を知る貴重な映像が、小津映画の中にある。今日の打ち合わせでも「早春」や、「生まれてはきたけれど」などのビデオを見ながら、みんなで話は盛り上がった。路面電車や、せんたくものの物干しの様子がとっても参考になる。 今回の物語は東京の下町が中心となる。登場人物の家、小学校、空き地、商店街など、それぞれの位置関係をはっきりさせることから始まった。その時監督の手からでてきたのが、上の見取り図だ。新幹線での移動中に4色ペンを使って細かく書いた地図が、スタッフの前に広げられた。空き地や商店街の様子、それからお金持ちの家ってどんな感じだったのだろうか・・・・。 「お金持ちの家はなんとなく垣根みたいなものがあってね。ちょっと雰囲気が違っていたんだ」「それから、路地には、みんな家の前に植木鉢を積み重ねていてね。今流行のガーデニングみたいにオシャレじゃないけど、それなりにつつましく家の前を飾っていた」「花だってケイトウとか、夏はサルビアとか、今とは種類も違っていましたよね」と、村上氏も自分の小さかった頃を思い出しているようだ。 “ちゃぶ台”に“黒電話” 当時居間にあった“ちゃぶ台”(今でいう食卓テーブルのこと)やそこに並ぶ一般的な食事はどんなものか。物語の終わりごろにでてくる“電話”は?当時は黒電話だが、それがどんな形をしているのか、スタッフはだれも見たことがないのだ。子どもたちがどんな服を着ていたのか、渡部さんが集めた資料を中心に話は進められた。「このちゃぶ台は、おかず多すぎるかなぁ。あの頃は、ご飯に味噌汁、あと魚くらいがあ ればよかった」「子どもは、ふだんは夏場だとランニングで遊んでいたよ」と、 ひとつひとつを監督と詰めていく。その時、渡部さんが、「学校にはガクラン着ていったんですか?」と質問。「ガクラン?そんなのなかったよ。」とその場は爆笑。「冬ならセーターとズボン、それもツギがあたっていたりして、夏場はシャツと半ズボンだった」 色が難しい〜 このアニメはカラー作品になるが、手元の資料はほとんどが白黒。当時は、まだカラーフィルムがなかった時代だから仕方がないが、「色の感じがつかめない」とスタッフは言う。 車も当時は、緑の濃いものや青といった、今では見かけない色が主流だった。リアルな作品に仕上げたいとの思いで、細かい部分までこだわって 「ふるさと-JAPAN」はつくられていく。 |
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| <文・写真 西澤真佐栄> |